自動車は自立の象徴だった
via "自転車は自由の象徴だった"
アバルト695 トリビュートフェラーリ (1/24 リアルスポーツカーシリーズ No.83)
- 出版社/メーカー: フジミ模型
- 発売日: 2010/07/20
- メディア: おもちゃ&ホビー
- クリック: 45回
- この商品を含むブログを見る
運痴だった
先日、夫(でいいだろ、もう)が録画していた『怒り新党』で初めて動く有吉さんとマツコデラックスさんを見た。
ドッジボールの話になって、マツコさんが「ドッジボールは人生」みたいなことを言っていた。最初からなんの戦略もなくぼーっとしてたら球を当てられ退場だ、的な。
あ、はい。
ドッジボールは最初に外野になれなかったら、ラインを踏んでアウトになるようにしてました。
私がボールを投げると内野に取られちゃうし、そもそも飛んできたボールを受けれなかった。ボールタッチ自体が比較的少ない人生なんじゃないかと思う。球技苦手。ADHD系だし(とってつけたようにwww
んで、外野が増えてきたら、ドッジーボールのコートから離れて、校舎の陰で地面に絵を描いていたwww く、暗いwwww
小学生の頃、担任が気まぐれで、算数の時間を体育にして外でドッジボールしよう、とかいうと、クラスの歓声の中でうなだれていた。算数、大好きです(ノД`)シクシク
中学生の時点で100m全力で走って21秒でしたwwww
3才を過ぎても歩かない子供で親が心配したらしい。なんも異常なかったらしいけど。医者曰く、「歩こうという気力がない」
運動が苦手で基本的に引き籠りで、私にとって世界は狭く、その世界の外はとても遠く感じたモノでした。
自転車
補助輪がなかなかとれなかった。近所で一番遅かったはず。あまり昔のことは覚えてない方だけど、みんな(近所の子供達)は補助無し自転車でどんどん行ってしまい、泣きながら自転車漕いで家に帰った記憶はある。
私にとって自転車は、ペダルも車体も重くて辛くて、あまり良い印象がないモノだった。
歩いているときより重力を感じるというか、束縛感の方がある。
自動車
北海道に帰って働き始めた去年の3月、通勤に必要なので軽自動車を中古で買った。生まれて初めての固定資産。
走ってて前後をトラックに挟まれると潰されそうな小さな車なんだけど、4WDでちゃんと冬を越えたw
実家の周囲を走りながら
「ああ、子供の頃、あんなに遠かった場所、こんなに近かったんだなぁ」
と感慨深くなる。
8月に実家を出て独り暮らしを始めた。仕事帰り、夜中にふと
「ああ、行こうと思ったらどこでも行けるなぁ」
としみじみ思った。
実家にもいまいち居場所がない私にとって、車という独立した空間は緊急避難できるシェルターの役割も担っていた。実際に避難することはなくても、嫌になったら車で出かけれる、という保険的に精神的にとてもよかったなぁーと思った。
なので、フェリーに乗ることになったが、正直、東京で無職が持つにはちょっと・・・(;´Д`)
ま、いざとなったら売れば10万くらいにはなってくれると信じて(笑)