スナックelve 本店

バツイチ40代女の日記です

No.0616 車売却―2―

No.0614 車売却―1― - すまんこがばがば

なかなか売却する話にならないwww






15年間車とバイバイ

最初に就職した場所は実家から300kmほど離れており独り暮らしをすることとなった。しかし前述の「我不運転車」(ワレクルマヲウンテンセズ)の誓いから極力会社の近くに住んだのだがそこの大家が未成年をホテルに連れ込んで殴る蹴る的な方の暴行で懲戒免職、という事件があり、慌てて引っ越した先はバスが一応あったのだが当時、深夜残業ワッショイヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノワッショイなSE業界だったので、帰りは良く近くの先輩に送ってもらった。・・・その先輩が去年急逝してしまった。

その会社で本州への出向が多く、出向先で能力不足から(゜?゜)イラネと言われた私は、仕事を辞めたのだった。

その時、最初の頃のお客さんで、妙に私を気に入ってくれた方がわざわざ電話をくれて言ったのも車のたとえだった。

「車は走れば軽トラでもなんでもいいんだよ。だけどelveは自分がフェラーリじゃないと嫌だって言ってる。お前はちゃんと走ってるのに・・・」

20代の私は自分が軽トラ(?)であることを認められなかった。ソレにより走ることすら出来なくなるのに。

このおじいちゃんはこの間定年退職だと言うことで、勤め続けている親友が電話できたらして〜ってメールくれてたのに気づかず、慌てて電話連絡したけど間に合わなくて帰宅しちゃっていた。お元気で〜(ノД`)シクシク

その後、横浜に住んだり練馬でハウスシェアして(みんな出て行ったりし)たけれど、とりあえず車は必要なかったのです。ビバ首都圏。


国破れて山河あり

んでまぁ、結婚してもうしないと思ってた恋をして別居して離婚して失恋して北海道の実家に帰ったのだった。


1年目

3ヶ月はフィリピンへ行って、その後12月くらいまで職業訓練学校に行っていた。学校は駅の近くにあったのでウチから最寄り駅まで15分、1時間に1本のバスと1時間に2本の電車を組み合わせて通っていた。雪の季節は辛かったが、まぁ良い運動になるし、よかったのかなー。


さぁ、就活だ

最初に就職しようと思ったのは病院の用度係で、ここは電車で行けそうだった。が、1週間で首になったwww

当初、正社員という求人だったのに、契約社員になっていたことと、契約社員なのに社員会費を給料から天引きにすると言うので、社員会に入りたくない、と言ったら首になったwwwww

元左翼で指紋も消してるという院長は、実に資産家階級らしい振る舞いでいらっしゃったwwww


どんとこーい

次に応募したところは CBTシステムの試験官+試験用PCのメンテナンス。タダあまりお金にならないので、今後は学習塾にしたい、と社長@会計士。

ここで問題発生。約30km先のその会社へのアクセスが非常に悪い。バス−電車−バスで、それぞれが微妙に時間がずれてるのだー。

というわけで、最初は親の車を借りていたのだが、親も仕事で使うので、車を購入することに。運転しないと決めていても、案外あっさり運転できるようになるモンだなぁ、と。

webでいくつか見ていて、「黄色くてカワイイ車」を発見して購入。80万強。最終候補の3台で悩んでいたのに、母の一言で決めてしまった。ちょっと後悔しつつ納車を楽しみにしていた。

吹雪いたときに最後まで見える色が黄色だ、と教習所で言っていたので、最初から色は黄色で決めていた(笑)

納車の日も吹雪で、私はバスと電車で会社に行っていた。母にはちゃんと時間考えてるから、と伝えていたのに、母に言われたのであろう父が迎えに来て、私は「自分で」に拘っていたのに親の(私にとって不要な)「助け」を借りてしまったことが腑に落ちなくて、帰りの車の中で泣き崩れた。父の「迎えに来てやったのに泣かなくても良いじゃないか・・・」はもっともだと思うのだが、その台詞により、よりいっそう「自分では何もしない癖に娘の名前を使って夫を動かし、自分の支配力と善人さをかみしめている母親」を意識して憎く感じた。

車はやっぱり可愛かった(笑)

あれこれあって、(釧路に転勤と言われたり無くなったり)じゃぁ、この教室はelveさんが経営していくんだよ〜みたいな話になって気合い入れたところで「銀行の融資が下りなかったので潰します」とのことで失業(ノД`)シクシク


ブラックか

次に勤めたのが・・・なんつーか・・・ブラックだったなぁ・・・。

会社から10分くらいの所に引っ越したら、会社の事務所が親会社の事務所に移転しちゃって、でも元々の営業所からもPC関連で問い合わせがあって、土日とかでも普通に出て対応してたなぁ。

車の運転が楽しくなってきたのもこの辺で、遠回りだけど渋滞しないから結果早く着く道とかナビ(2006年データwww)に教えて貰って初めての道も何とかイケル感じになってきた。

車関係の会社だったんで、タイヤが安く買えたり、洗車を安くやって貰えて良かったなぁ〜。車とは蜜月w

でも、兎の病気が酷くなって、何度も実家近くの動物病院に行ったり、ちょいしんどくなってきた。

そんで、兎が死んで、凹んでたら「お前の仕事は評価できない」って言われて、管理部5名のウチ、私の給料だけあがらないとかで、ちょっとなんかおかしくなってきた。

誰からも必要とされてないなぁ、とか思ってるウチに首吊ろうとして失敗して喉痛めてた。4日仕事を休んでいた。

こらダメだ。死ぬくらいなら仕事やめよう(正論)

という感じに落ち着いて、退職届を出してやめた。

その頃、元夫に兎が死んだ報告とか兎の骨(実家の猫入り)を少し分けたりとかしてて、話してるうちに、東京に戻っておいでよ、と言われたので、必要とされているところで生きていこう、と思い東京に行くことにした。

4月に退職届を出して、7月に再度退職届を書かされた。

車をどうしようか悩んだ。どう考えてもいらないwwww でも、私のカワイイ車なのだ。

実家の兄に売ろうかと思ったが当たり前のように「くれwww金なら無いwww」と言われて、こいつに乗られるくらいなら俺が持って行こう、と決意。

元夫に連絡して立体駐車場を確保して貰う。月2万円弱の出費が決まる。


フェリーにも乗った

乗り物酔いが激しい私は、ロードムービーとかでも酔う。寝ても(いびきが)ウルサイ私を知る親友が、一緒に遊覧船に乗ったときにもの凄く驚いていた。

「君が静かになるなんて・・・」



そんな状態だったのでフェリーに乗るの、実はもの凄く怖かったのだけど、予約、支払いはwebでサクッと終了。当日も順調に乗り込み、後はひたすら寝る。起きたら大洗。初・大洗。カーナビ(2006)があれば、もう、何も怖くない!! と走り出したら速攻坂を上りすぎてあり得ない細い道になってしまったので大慌てでUターンしたりしつつ何とか東京まで来れたのでした。もちろん事前に首都高速の入口出口チェックしてETCカード作って読み取り機取り付けて散財しておりましたwww

ちなみに実際の首都高ではなんかトンネルでデータが読めなくなりナビもイマイチ分からなくなって、どこをどうやって来たのかよく分かりません(;´Д`)