名前というのは最も基本的な呪いだ、みたいなことを誰か言ってませんでしたっけ?
京極さんだったか夢枕さんとこの清明だったか。
千と千尋? 全然違うかもしんないwwww
愛と呪いと差別の基本成分は一緒だと思っている。
「お前は俺にとって、あいつ(ら)じゃない」
そうやって僕らは名づけられ愛され呪われ、差別されて成長するよね。
だから名前は結構大事に思っているかもしれない。
だから名前は捨てたいと思っているかもしれない。
植民地でキリスト教が布教されて今までの名前を奪われ洗礼名を付けられるのとか、日本の創氏改名とか、今でも日本で生活するのに通名使わざるを得ない人とか、そういうことを思うからイングリッシュ・ネームって嫌だった。
私がフィリピンに行ったときは日本人生徒はみんなイングリッシュネームを嫌がっていた。
韓国人の生徒さんが喜んでキャシーだとか名乗っていて、英語ならいいんだーとか思った。
一緒にボートに乗って少しだけ話をできたキャシーのことを私は何も知らないままだ。名前も。
先生の名前がマリアだった。皆クリスチャンだった。切ないなぁと思った。
フィリピン古来の名前だったら覚えれてないのかもしれないけど。
発音すらできないのかもしれないけど、それでいいじゃないって思うんだ。
1週間くらい前にサッカーの試合を見ていたら、ピーターウタカ選手(黒人の選手)が紹介される度にゲラゲラと笑う子供たちがいた。
ムカつくような恥ずかしいような何とも言えない気分で観ていたけど、何が面白いのか聞いてみればよかった。
ウタカ選手のコール、「WU・タ・カ」って感じで「ウ」のところを口の中でふくらます感じでいうのね。マルセイはそれがいいんだっていうんだけど、欧州っで差別的な罵声として問題になった猿の鳴きまねっぽくて私は嫌だ。
イングランドの黒人選手がボールを持つ度に、スタンドから猿の鳴き声を模した大合唱が沸き起こった。
http://number.bunshun.jp/articles/-/14054
といいつつ、キラキラネームを笑わない自信がないあたり、まだまだ修行が足りないです。