何度も言いますが、仏教では他者と自分を比べる慢という煩悩は、阿羅漢という悟りの最終段階まで消えないもので、人間は怒りも性欲も失っても、他人と自分を比べることだけはやめられない、と理解されているんですよね。「比べるな」というのは、本当に「人間をやめろ」というくらいの要求なんですよ。
— ニー仏 (@neetbuddhist) 2017年10月2日
というわけで、謎の誇大妄想も変に卑屈になる劣等感も人生のお友達だと思うしかないのかーとか。
ちょっと病んでる人のブログをちら見したら「みんなだけレベルが高くみえた」みたいな表現があって、引っかかった。ブクマするような感じではなかったので閉じてしまった。
「だけ」を使うなら「自分だけレベルが低い」のが正しい表現だと思う。でもこの人にとっては「みんなだけ」がレベルが高くて、自分は低くはない、という認識なのだろうなぁ、と。プライド高いのかなぁ~とか。だから病むんじゃねーの? いや、病んだ結果なのか? とか。
本当の自分を正しく認識するとうつ病になるなんて事も聞いたことがある。この人は「自分だけ低い」ことに気づいて病んで、それを認めたくないのが文章に表れたのかもしれない、なんて。
その後も人にどう思われるかが怖くて嫌な誘いも断れないとかそんな話だった。
私はプライドが高いことは悪いことではないと思っている。方向性がいろいろあるだろうが、私もプライドが高い方向がある。自律するためにはプライドが必要だと思うのだ。責任を取る、というときもプライドがないと相手が納得するような責任の取り方をできなかったりするだろうし。
ただ人からどう思われるか、という方向でプライドを高くすると、結局「うちの芝は青い」を脳内他人に見せつけ続けて生きていくことになる。それで気持ちよく暮らせているうちは良いけど、現実と乖離し始めるとトラブルの原因になる気がする。
誰も気にしてないうちの芝の色、というのも見て、そしてやっぱり隣と比較して、ため息つきつつも自分の芝で生きていきたいなぁ。
責任取るといえば、私の悪癖でなんかの拍子で「(私が)泣いちゃいますよ~」みたいなことを言ってしまうことがある。正直ババァが泣こうが喚こうが誰もどうでもいいのに、私の中で私が泣くことは一大事なので、それが口から出てしまうのである。幼稚だと思っていて辞めたいのだが、偉い人にちょっと意地悪い言われて返答に窮すると口をついて出るのだ。乙女かっ!!
人と比較するのやめました、なんて簡単には言えないよなぁ~ってことで。うん。
君の芝も、青くてイイネ!!
うちの芝もいつか見せれるといいな~。え? 見えてる? やめてよ見ないで~~~~←「臆病な自尊心」と、「尊大な羞恥心」
虎になろう、断酒したけどw