スナックelve 本店

バツイチ40代女の日記です

柔らかな壁の中からの手紙

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f:id:elve:20180120125434p:plain「はい・・・はい・・・そうですね・・・」
何度言っても何を言っても電話を切ってくれない相手にウンザリしているのにくわえて、電話が2つ鳴っている。両方の対応は無理だけど、とりあえず早くこの電話を切って片方には対応しないと、と花子は声に出さずに焦った。

お昼時とはいえ、どんな偶然なのか広いオフィスに花子しかいなかった。もっとも、誰かがいても電話を取ってくれるとは思い難い職場なのだが。

何をどう言っても納得しない。電話の相手は、おそらく暇を持て余し、意図的か無意識かはわからないが話し相手を求めているようだ。
最初は「お宅の個人情報管理はどうなってるんだ」という苦情に近い問い合わせだった内容も、だんだん関係のない愚痴になってきている。鳴り響くベルの音と終わらない電話で感情を失いそうだと思ったその瞬間。
ふっと暗くなった。静かになった。
「もしもし?」
なんとなく、空気が重くなった気がした。すぐ背後に大きな人がいるときの気配に似ている何かを感じる。電話からは何も聞こえない。しつこく鳴り続けていた電話も静かになっている。部屋の電気が消えている。PCの電源も消えている。停電だろうか、そう花子は思った。

「!?」
思わず振りかえろうとして椅子が後ろに動かないことに気づいた。動かすと後ろにクッションでもあるかのように押し返される。
何度か試して、思い切り椅子を下げて、背面に押し付けるようにしたまま立ち上がり、横へ体をずらして椅子を戻す。膝の裏を何度か椅子でぶつけ、反動でスネをデスクの引き出しにぶつけ涙目である。

「なんだこりゃ?」
思わず声に出した。今まで座っていた椅子の後ろ側に一面「壁」ができていた。


花子は静寂の中で何分かボーっと壁を見ていた。今日は普通に電車に乗って、いつも通り会社に来た、なんてコトを花子は何度も頭の中で繰り返した。あまりに「非日常」的な光景に、感情が追いついていかない。
隣のビルに西日が反射して、眩しいと思うと同時に急に頭が動き出した。

「マズイ」

出入口も非常口も給湯室もトイレもロッカーも「壁の向こう」なのだ。こちら側にはデスクとコピー機位しかない。
壁の対面には全面ガラスのはめ殺しの窓があるだけだ。その向こうには沢山のビルが見える。30階建てのビルの15階。景色がいいのは気に入ってる職場だ。何か違和感がある。いつもの風景に「壁」があるせいだ。黒い帯の上は見えず、まるで背景を黒で塗り潰した絵画のようになっていた。

「今、ここは密室だ」

密室という言葉を口から出すのは生まれて初めてだな、と花子は思い、少し笑いたくなったが笑ってる場合ではない気がして手当たりしだいのもので壁に「攻撃」をしてみた。まったく効果がなく、ぼよよん、と書くと平和だが絶望的なその感触に恐怖が沸いてくる。はさみやカッター、アルミ定規でもまったく傷はつかなかった。反動で怪我をしかけて「攻撃」をやめた。
天井や床が崩れそうな気配はなく、どうなっているのかが不明だ。どういう理屈かはわからないが物は透過するのかもしれない。

「ってなんだよ!? それっ !!」
思わず悪態をついた。

上司のデスクに文鎮状態のノートパソコンが目に入った。飛びつくように開いてACアダプタのプラグがコンセントに刺さっているのを確認する。
刺さってる。充電はされてるはずだ。助かるかもしれない。
「助けて欲しかったのか、私」
ふふっと笑う余裕ができた。

電源を入れるとアカウント名とパスワードを入力する画面が出てきた。
「うわー。新規登録とかできないのか~」
花子は少し考えて、アカウント名とパスワードに「guest」と打ち込む。ログインできた。
「よっしゃっ!!」
久しぶりにこんなに嬉しい気持ちになったと思いながら画面を覗き込むと、ブラウザーが自動的に立ち上がって、フリーメールのような画面につながった。

ページ上部にはサービス名を表すようにして「UGORIM MAIL」とだけ書かれていた。なんだか懐かしいような気がしたが、どこで聞いたのかは思い出せなかった。

「なにこれ・・・いいから連絡を・・・」
「・・・誰に?」
「どうしろっていうのー!?」

他に検索などのページは立ち上がらなかった。緊急連絡網のファイルを見ようと思ったがLANは死んでる。印刷してデスクシートに挟んでる人がいないか探したがなかった。
そうして人の机を漁っているうちに、UGORIM MAILが沢山のメールを「受信」し始めていた。メールは「やばいやばい」だけのものや、おそらく外国語のもの、文字化けしてるもの、いろいろなものがあった。他にやることもないので読めるものを読んでいると、どうも他にも壁に囲まれた人たちがいるような内容であった。また、今まさに冬なのに、冬が来るのを恐れる手紙もあった。何かがおかしいと思ったとき次の一文が目に飛び込んできた。

時間の流れがぐちゃぐちゃで、途方もない過去からの手紙や、遥か未来からの手紙が届いたりする。

終焉の町からの手紙 - おのにち

そこから花子は、時間が経っても壁は消えないという事実に打ちのめされた。メールを書く気力は沸かなかった。

「私は・・・飛び降りるか餓死するかしかないのか・・・」
静かな絶望とともに花子がその結論にたどり着いたとき、周囲は暗くなり、空気はひんやりと冷えていた。

花子はとりあえずコピー用紙を細かく切り刻んで布団代わりにしたが寒かった。トイレに行きたくて何度も起きたが我慢した。膀胱炎になってしまいそうだと思った。朝焼けを眺めながら、今日は雨かとぼんやり考えていた。

窓ガラスを割れるとして・・・強化ガラスを割ったことがないのでどのくらいの力が必要か皆目検討がつかないのだが・・・割ってしまったら最後、冬のビル風が入ってきて私はもう夜を越せないだろう。ガラスを割って、下に人がいたら危ないし、静かにここで餓死するしかないのだろうか、とまた暗い気分になった。そのとき、ガラスが割れる音と振動を感じた。感覚的に上か下の近い階で誰かがガラス窓を割ったのだろう。

「なにも、こんな寒さの厳しそうな朝に動かんでも・・・」
花子はウンザリした気分になっている自分に気づいた。
「・・・違うな。今だからやらないと。体力あるうちにガラス割らないと! 下に人もいないだろうし!!」

昨日、絶望的な気分で閉じたノートPCをもう一度開く。guest×2。
メーラーに短く文章を打つ
「越えられない壁ができて、今まで越えられなかった壁を越えることができそうです」
送信。

残っているコピー用紙にビルの名前と15階と自分の名前を書いた。少し考えてから大きく
「助けて!」
と書き足した。何枚も何枚も書き続けた。

渾身の力を込めて、椅子をガラスに叩き付ける。
花子には、どうやったら自分が助かるかなんてまったくわからなかった。それでも「助けて」と言ってもいいだろう、と思ったのだ。
「助けて・・・助けてっ! 助けてーっ!」
バリバリと割れた窓から冷たい風が吹き込み、コピー用紙が紙吹雪のように舞う。