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バツイチ派遣40代女性の日記です

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祖父母の記憶が意外と無い

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
長くなった。
祖父母はみな千歳で暮らしていた。
父方の方が「尊い」感じで育てられた。
幼い頃の呼称は、父方の祖父母は「おじいちゃん、おばあちゃん」で母方の祖父母は「おじじ、おばば」だった。何の疑問も持たなかった。

父方

父方の祖父母は長野から満州へ、そして引き揚げ後に北海道に開拓団としてやってきたらしい。
祖父は明治の生まれで高校は行っていないが早稲田大学をでてると聞いたが事情や何処まで本当かがわからぬ。おそらく戦争の関係だろうとは思う。
祖母は女学校を出ていると聞いた。
なんとなく、金と知識が有りそうな人たちのイメージだけど、こりゃ彼らが死んだ後に情報から組み立てたイメージだな。

祖父母はうちの向かいの大きな家に住んでいた。
開拓者だったので地主だった。うちの周辺には畑でも住宅街でもない、白樺が生えた土地が放置されていた。それらがみな祖父母の土地だという事をよくわからないでいた。
理由はよくわからないが、うちの周りには人が居ない、そう思っていた。
さいころは父が白樺を切って、薪を作っていた。ウチは薪ストーブで、おじいちゃんの家は石炭ストーブだった。

祖父

小学1,2年生の頃だったと思うが戦争について祖父母に聞いて来い、というような宿題があった。今思えば残酷だ。
祖父は「戦争はよくないよ」としか語ってくれなかった。それ以上聞けなくて、そのように書いて提出した記憶がある。先生のリアクションは覚えていない。

週末になると父とおじいちゃんの家に行ってお菓子を貰ったりしていた。祖父と父はひたすら酒を飲み、たぶん準備や片付けは祖母がしていたんだろう。酔っ払った父は家で暴れるので困ったもんだった。祖父が暴れたところは記憶に無い。

祖母とともに庭をとても綺麗にしていた。
肺がんになったのだが、自分の足で薬屋さんへ行き、ビタミン剤をしこたま買っては飲んでいたようだ。そのかい有ってか、年とってたからなのか、癌になった後も結構(5年以上)生きていた記憶がある。
やせ細って横になっている祖父の記憶が無いナァ、と今気付いた。
今考えると凄い金持ちだったと思うw そういえば連休だお休みだとなるとおじいちゃんとおばあちゃんと旅行に行くのが常で、その後両親がケンカするまでがワンセットな感じだったなぁ。そのせいで旅行自体を迷惑だと思っていたけど、今考えるとありがたいことだ。
よく酒飲んでよく笑ってよく働く人だった・・・と父をみて祖父もそうだったのだろうと思ってる部分もある。
可愛がってもらったけど接点があまり無かったかもナァ。

祖母

祖母は静かな人だったと思っている。
だが、亡くなった後に聞いたところによると、次女(伯母、勘当されていた)のことを・・・ちょっと娘とか伯母とか混乱するので祖母の目線で書く。夫が次女は自分の娘ではないだろうと言った時、結婚式から何からすべての写真を燃やしてしまったらしい。
それをみて伯母は自分は家にいてはいけないと思ったのだと語っていた。伯母と交流ができたのは祖父が倒れてからだ。
意外と激しい性格だったんだなぁ、と驚いた。
祖母は手先が器用な人で、私と従姉妹に可愛いお人形を作ってくれた。私は大事にしなかったけど。実家においてある。
縫い物も編み物も、得意だったんだと思うけど、おばあちゃんに服を作ってもらったとか編んでもらったという記憶は無い。でも、おばあちゃんには折り紙を教えてもらったというか、おばあちゃんが折り紙の分厚い本を持っていて、それを見ながら折るのが楽しかった。
亡くなった後、油絵の道具が一式あって、兄が貰っていた。ちょっと羨ましかった。私は未だに油絵の具を触ったことが無い。
祖父が亡くなってすぐに倒れてしまった。悪性リンパ腫と言っていたか・・・元々細い人が、ガリガリになってるのにフトモモだけパンパンに腫れていたのを見せてもらった記憶がある。

おばあちゃんが死んでから芝桜は雑草に強いんじゃなくて、おばあちゃんがマメに管理していたのだと知った。大きな花をつけていた牡丹もチューリップもいつの間にか咲かなくなってしまった。アレはおじいちゃんが面倒みてたのかなぁ? 登藤とすずらんは結構たくましい。うちの実家周辺で登藤は野生化してるw

母方

母方は小樽から引っ越したきたのだと聞いたけどその前は知らない。
父方の祖父母がなくなってから、じいちゃん、ばぁちゃんと呼ぶようになった。
今はおばあちゃんが90歳越えて生きている。寝たきりだけども。

そういや祖父もよく酒を飲む人だったw でも父方の祖父と違って長男一家と同居していたので、いつもにぎやかな家だった。
祖父母の家に行くと、叔母も来ている事が多く、コンプレックスを刺激された母が家に帰った後、酔った父と荒れるのが定番。いい加減にしろw

祖父

B型であるw それだけでなんだかいろいろ、うん、仲間w 祖父とゆっくり話したことって無かったなぁ、と今思う。
ボイラーの技術者だったのかな? よく知らないけど真面目にこつこつ会社員やってんだと思う。
長男(母の兄)が脳梗塞で倒れ、植物人間になってしまったときに、自分が病院の選択を間違えた(遠い病院まで行ってしまった)とずいぶん後悔していたらしい。きつかっただろうなぁ。救急車呼ぼうぜ(;´Д`)
肩が痛い、といい、病院に行ったら悪性腫瘍でそのまま、という感じだった。入院してから見る見る痩せてあっという間に亡くなってしまった。
最後にお見舞いに行ったときは寝ていて、兄がまた来ようと言って帰ったら亡くなってしまった。あの時、起こして話せばよかった、と兄は後悔していたらしい。
後悔は生きてる証拠!!
昔の人はとにかく働き者だよなぁ。よくアレだけの働き者から私のようなぼんくらが・・・と思わずにいられない。

祖母

A型であるw B型と結婚したA型というだけで大変ですね、という気分になるのであるwww
さいころ、ばぁちゃんは、よくほっぺにぶちゅーっとしてくる人で、凄く嫌だったwwww 
ばあちゃんのかぼちゃの煮物やイカの煮物が好きだったなぁ。

どうもね、長女(母)にお前は黒いから働くしかないと働かせ、次女(叔母)は色が白いからって可愛がっていたらしいんだよ、母曰くw
だから母はものすごく妹に対してコンプレックスがある。でも姉だから妹を心配もしてる。めんどくせぇwww
「妹より私を可愛がってくれなかった母」が脳梗塞で「物言えぬ状態」になって横たわっている。
母は祖母が生きてるだけでいいと言う。
「~だよね~ばぁちゃん?!」なんて、話せない祖母の言葉を奪う。それがたぶん、母の癒しになるのだろう。

そんな祖母を見て「生きてりゃいいってモンじゃないよなぁ」とか言ってしまうのが父です(遺伝!!)

ばぁちゃんの人生はしんどかったろうなぁって思う(まだ終わってません)
同居してる長男が倒れて植物人間になって、息子が死んで、夫が倒れて死んで、自分が倒れて半身不随になって、再度倒れて今に至る。

生きてるだけで まるもうけ、と祖母は思っているだろうかね?
わからん

振り返って

年齢的なもんだろうけど元気な頃の祖父母の記憶って意外と無くて、病気のときや死んだときの印象が強い。
大人になってしまった今の私が祖父母と話せたら何を話すかなぁ?
あの頃の父のように飲んだくれて笑って・・・話せたらいいのにねぇ。

どうもガンとか血管つまる系が遺伝してる気がするので、気をつけたいと思いました!!(そこ!?)