スナックelve 本店

バツイチ40代女の日記です

運が悪かっただけのこと

京アニ(正式名称も知らなかったのだが)は私がアニメを観なくなってからできた会社で、あまり思い入れはなかった。でもショックだ。
朝ドラの「なつぞら」がアニメづくりを目指す少女の物語で、今は会社に入って原画描いてる。幸い今日の話は家族の話メインで職場少な目だった。
職場の場面を見るのがつらい。
金にならんが好きな事一生懸命みんなでやって創意工夫する多くの姿が失われたことがつらい。

私だって、もうちょっと運が良くて絵を描くのが好きだったらそっち側にいたかもしれない。居たかった。憧れの場所を破壊された感。あの人は私なんです。

そして、秋葉原通り魔事件の時のような・・・なんというか。一歩間違えたら、ちょっと運が悪かったら、私が犯人だったに違いないという変な感覚。あの人は私なんです。

ネットもアニメも・・・私を含めた多くの孤独な人を救ってきたはずのソレは、彼らを救えなかったという絶望感。

そして、そんな妄想とは関係のないところで生きている犯人。

被害妄想と被害について、約6年前会話にならない会話をしていた
elve.hatenadiary.com

当時オカマ口調の友達が「被害妄想は妄想だけど被害は現実に受けてるのよ!」といい、それはとてもよく分かった。
脂さんはその被害も現実も幻想だと言っていた。

ぶっちゃけ、「被害妄想」と「被害」なら「被害妄想」の方が現実に近い。
「被害と加害という区分自体が幻想」であるなら「現実としての被害」を訴える人は幻想を現実だと思っているパラノイアだとなろう。
そういう人たちに対して「それが幻想なんだよ」という意味だな。

6年前 Add Star

逆に被害や加害なんて概念をあたかも実際にある物理量のように、現実だと思っている奴に対して
「違う、お前のそれも幻想だ」という意味がある。

6年前 Add Star

「幻想ではない現実はある」と言っているのではなくて、「幻想は、幻想として、現実においてある」と言っている。

6年前 Add Star

現象学っぽいかもしれない。
現象学における直接経験とは一般的にわれわれが現実だと思っている経験(間接経験)とはまったく別物で、
そこから敷衍した現象学は幻想的な、抽象的な話でしかないように思えることもあるが、
フッサールはそれが直接経験だとした。
そういった意味で「被害」とは間接経験であり「被害妄想」の方が直接経験的だと言える。
そういった意味で「被害妄想」の方が「被害」よりわたしの言う現実に近い。

6年前

No.0148 - elveさん抜きで話進めてくれ、意味がわからん

犯人は「パクられた」って被害妄想に取りつかれていたのだろうと思う。彼にとってはその被害妄想こそが直接経験的だということ・・・かなぁ。
どうでもいいけどな。

一人で死んでくれよ、頼むから、と思ってしまう。

子供老人狂人障害者、彼らをフォローする担い手はどんどん減って社会はどんどん余裕なくして、きついやね。・・・等と気をそらしても滅入る。

いろんなこと巻き込んであーだこーだ言うけど、運が悪かっただけだよ。誰も悪くないよ。


でも、私はネットもアニメもその運の悪さを救済する産業だと思うんで・・・つらい。