スナックelve 本店

バツイチ40代女の日記です

母とか猫とか家族とか

母が入院している。動脈瘤で人工血管に置き換える手術をするのだという。

彼女は子供を育てるのが下手だったんだと思う。3人産んだがどの子も結婚できない。家庭を再生産できない。みな末代。
情は深いが忙しいのでメンタル過干渉で放置である(他に手段がないのだろう)。
いや、男子の家事はわりとするのか。私と暮らすと家事をしない私にイラついてしまうようだ。
面倒は見るが教育ができないタイプなのかなぁ・・・。そんなわけで、子はもれなく母に相談なくして何もできない人間に育ち、兄も弟も人生スポイルされながら実家(母)から離れることができないのだ。父もか。

さて、そんなダメンズメーカーの彼女の性質が、どうも人間以外の生き物には快適なようなのだ。*1
実家に帰るたび鉢植えの植物は増え、花をつけ、彼女にもらわれたネコは肥満になりつつも20年近く生きたのだった。

「ネコは満腹中枢が働くから食べたいだけ食べればいいのだ。イヌはダメだけど」
というようなことを母が言っていた。本当かは知らない。
歯以外は健康だったのに食事できなくなり若くして餓死させられた私のウサギと思わず比較してしまう。最後は骨と皮だけになって可哀想なことをした。
どう考えても実家の猫たちの方が幸せだったろう。

家の中で2匹は好き放題に追いかけっこをして快適な場所を見つけては丸くなっていた。

ネコは姉妹で、シャム猫の血が入った雑種だった。
ナオは美人で愛想が良くて誰の膝にでも乗り、毛がめちゃくちゃ抜ける子だった。よく鳴く。うるさいくらいよく話すネコだった。
チェリーは顔に傷のように白く線が入っており、強面に見えた。毛はそんなに抜けないけど人に触られることを嫌い、寡黙なネコだった。

チェリーは最後まで貰い手がなく、うちにやってきたんだったと思う。
弟が名前だけでも可愛い名前をとチェリーとつけた。彼は確か小学生だったはずだ。

私の記憶では我が家で飼うとしたらイヌ、そしてそれはいらない、と断固としてペットの飼育を反対していた父がいたはずなのだが、実家を出て比較的早い時期にネコをもらったと聞いた気がする。
「チェリーも本当は抱っこして欲しいんだよ」
父はよく腕を血塗れにしてチェリーを抱いていたw 何かを投影してたんだろう。

人に甘えてゴロゴロいうナオを遠くからじっと見つめてるチェリーというような構図が多かったように思う。

私はネコたちにとって、たまに実家に現れる変な人ポジションで付き合っていた。ナオはドアを開けても絶対に家から出ようとしないネコで、チェリーはなにここ? とお出かけしたがるネコだった。実家でやることがないとチェリーと散歩に出かけるのが私は好きだった。小さなリードを買って。田舎なので猫の散歩はよく笑われた。

「ナオもチェリーもお母さんが大好きだもんねー!?」
っとネコたちに話しかける母を見ると、なんとなく可哀想になった。
多分、子供である私は彼女の求める「大好き」という感情を彼女に持っていなかった。もちろん嫌いではないが。


私にとってネコ達は我が家の変化の象徴だった。
私が育った家は両親が不仲で父がアル中で貧乏でどうしようもない家だったのだが、弟が生まれてから家は豊かになった(ちょっと豊かになったから子供産んだ、が順番なんだろうけどw)。両親はあまり喧嘩しなくなり、飼育が無理だったネコが闊歩する家になったのだ。
私は弟が少し羨ましかった。
金と仲のいい両親とネコのいる家の子供だから。


「お父さんが暴れて二階から学習机投げつけてきたときあったじゃない? 割れた窓からアンタと(弟)で逃げたとき」
母がそんなこと言うので、それが1回だったのか複数回だったのかすら曖昧なまま相槌をうった。
「(弟)ね、覚えてるんだって。てっきり覚えてないだろうと思ってたのにね。だから、お父さんのこと、人が言うほどいい人じゃないのにってモヤモヤするみたいよw」
外面のいい父のことをそんなふうに言って喜ぶ母が苦手なのだが、それはそれとして、弟が「金と仲のいい両親とネコのいる家の子供」じゃなかったことに驚いた。


ナオが死んだ後、人・・・ネコが変わったように、チェリーは鳴くようになった。
「自己主張が激しくなっちゃって」と母は笑っていた。

チェリーが死んだ後、普段寡黙で酒が入ると饒舌になる父が素面でも良く喋るようになったというw

*1:ダメンズにとっても快適なのだろうがw