スナックelve 本店

バツイチ40代女の日記です

どっちでもどうでもいいよな

ツイッター
「ネットではやられたらいやなことはしないのが一番」
「引用リツイートは相手を怒らせたい時に使う」
「公人はブロックしたらダメ」
みたいなのを見てびっくりして、そこから連想ゲーム。

まぁ結局みんなお気持ち論争で味方増やして自分に異論唱えるやるを少数派としてボコボコに論破して、また俺なんかしちゃいました? とか言って仲間にヒューヒュー言われたいわけじゃないですか?
少なくとも私は昔からそういうのに憧れはあるのですが賛同されることが少ないので少数派で開き直る方向で生き残ってきたわけです。

で、私がよく噛みつく話ってのは私にとっては正しくないから指摘してるだけーくらいのテンションなんすよ。自分が間違ってたら言い方どうでもいいから教えて欲しいんすよ。
でも私が噛みつくと大抵「いきなり噛みついてきたお前は悪だ」という話に終始するんすね。これも、素直に「言い方が気に食わない」って話をストレートに答えてくれれば、すみませんでした、と思うのですが、たいていこちらの指摘から話をそらして反論してきてその反論にも間違いがあって・・・と会話にならない状態になるわけです。噛みついた俺は悪でいいからお前の間違え訂正しろよ、と延々と言い続ける羽目になりがちです。
俺は善悪に、そこ(知らない人に突っ込み入れる)まで興味はないんすよ。ただ私みたいな底辺でも知ってるレベルの間違いをドヤ顔で世界に大公開@World Wide Web、とかの現場を見ると、放置してられないおせっかいな性格で衝動を抑えられないわけです。病気でもありますが、困ってないのでまぁいいや、的な。←周囲が困ってるんかねぇ?
ネットはそうやって殴り合ってお互いの表現を修正し指摘し、練り上げる文化だ・・・と思ってるのだけど私だけなのかなぁ。

で、若いころは「誰が」より「情報の中身」が大事だと思って、言ってる人によって態度変わる人間を信用できなかったものですが、年とともにそういうのは理解できるようになりました。人によって態度かえる人間は最低だと思っていましたが、相手によって態度変えられないなんて社会人失格じゃん、という気づきとともに社会人失格なりに頑張っております(´;ω;`)ウッ…
ただ文章で残す以上、「その人の発言なので私はこの情報をこうとることにする」という説明(理由)も残したほうが誤解を招かないで済むんだろうなぁ、と。めんどいけど。

で、情報の「正誤」より発信者が「敵か味方か」のほうが重要って派閥があり、味方の発言であればできる限り良くとり、敵の発言であればできる限り悪くとる、というルールみたいなんすな。
そら分かり合えんなー、と。

で、大事なのは「分かり合えない人たちがいる」ことを容認することじゃないですかね。多様性ってそういうことですよね?
ある種の諦めとともに共存していくしかないわけです。共産党がやばいのはたぶん、全員が同じ理想のために動かないと実現できない理想を掲げ、最終的に異論を排除する力が強いからなんでしょうなぁ、とか。すんません、適当です。
所謂リベラルな人たちが、敵認定したものを口汚く罵るのを見ていると、うんうん、むつかしいよねぇってなります。

とある人に「エルベさんは脊髄反射逆張りする」「まず否定から入る」と言われ、反論しようと思ったのですが、客観的に反論できる材料が0でした。私の出力したものはそうも取れる。
でも、異議あり、と思いますし、そのうえで客観的にそう判断する材料が豊富なのも事実なので相手がそう思っていること、および多くの人が私をそう判断していることは「しかたねーなぁw」なのです。出力改善の努力をしたいですが、「そうじゃない」と思ってる自分と「そう」思ってる他人、両方の存在を尊重したいわけです。

開き直る方向で生き残る作戦でw←改善されないw